2016年09月05日

味の素のない食卓なんて。

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グルメな人々は、味の素を敵視しているようです。
味の素の入っている料理は、偽物のように批判します。
世間もそういうグルメ著名人や権威に対して、
そんなものだろうと何となく同調しているようにみえます。
僕は、本当のことを言います。
味の素は、たいがいの料理を旨くする。
特に、ぬか漬けや浅漬けに振りかけると
全く違うものになるぐらい旨い。
ディスってると思われるとイヤなので
店名は伏せますが恵比寿で老舗の定食屋では、
追加で漬物の盛り合わせをたのむと、
宝石のかけらのような味の素の結晶が、
瑞々しい漬物の上で輝きながら
僅かに溶け始めた状態で供されます。
これに、醤油をひとたらし。
七味唐辛子をかければ準備完了。
おかずは、生姜焼き。熱い味噌汁。
まずは、万全の状態のぬか漬けの胡瓜を
一口。旨い、旨い、
池田菊苗博士が100年以上前に発見した
「UMAMI」が、口いっぱいに広がります。
漬物の旨みが何倍にも増幅されている。
これは、白いご飯が欲しくなる。
生姜焼きに行く前にご飯をまず一口。
そして、味噌汁、生姜焼きと、
火が付いた食欲がどんどん増していきます。
人が、アミノ酸を旨いと感じるのは、
それが生命維持にとって不可欠な栄養素だからで、
旨みを感じる瞬間こそ人類にとって最高に
幸福な瞬間なのではないでしょうか。
出汁が薄くても、
素材がもうひとつでも、
味の素ひとふりで
ほとんどの料理がおいしくなる。
味の素は、庶民の味方なのだと
僕は思います。
次回も、
グルメな世の中の潮流に
逆らってみようと思います。







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2016年09月07日

焼鳥屋さんで「塩」はないと思うんですけど。

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焼鳥屋さんに行くと、何となく食通の風情で、
「タレ」ではなく「塩」を頼む人がけっこういます。
冷奴や蕎麦も塩で出す店があり、
ありがたがって食べるお客さんさえいます。
どうも「塩」は、素材本来の味を
楽しむ調味料として絶対王者の地位に
あるように思います。
それは、百歩譲っていいとしても、
焼鳥屋さんで、「塩」はないと思うんです。
いや、全部「タレ」とはいいません、
例えば手羽先だけはよしとしても、
「タレ」で頼まない人の気持ちが知れません。
あの、店頭から溢れ出す「タレ」の焼ける
甘辛く香ばしい匂い。
焼き鳥はその「タレ」を味わうために
行くのではないですか?
「塩」なら極論いえば
家でも焼けるじゃないですか。
市販の焼き鳥の「タレ」で
いくら焼いてもあの味にはなりません。
何万本もの焼き鳥のエキスが
くぐり抜けた「タレ」だからこそ出せる味。
お金を出しても買えない「タレ」です。
ジュウジュウと油が沸き立つ状態の
焼き鳥に、七味を一振り。
うーん、この匂い、「タレ」だけではなく
炭に垂れた鶏の油が焼かれてだす煙が燻した
スモークの香りが全体をおおっている。
熱い熱い、「タレ」の甘さが弾力のある地鶏のコク
と溶け合い、かすかに焦げたほのかな苦み。
グーッと生ビールをやる。
ああ、幸せだ。
これが、焼き鳥じゃないですか。
ところが、最近の気取った人気焼き鳥屋さんの中には
コースで焼き鳥が供され、そのほとんどの部位を
「塩」中心で出す店が少なくありません。
自慢の素材と焼き加減であるのはわかります。
レモンや大根おろし、ユズ胡椒や練り梅、
カレー塩や抹茶塩など
工夫がないわけではありません。
でも、僕は、心の中で呟きます。
「これは焼き鳥ではない」
僕には、世の中のこの「塩」に対する
奇妙とも思える喝采ぶりに疑問を感じます。
やせ我慢して「塩」を頼んでいるようにしか
見えないのです。
僕は、言います。
焼き鳥は、「タレ」を食べるものです。








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2016年09月11日

グルメレポーターの憂鬱

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親子丼を、よく行くお蕎麦屋さんで
食べました。おいしいお蕎麦屋さんなので、
蕎麦を食べるべきなのでしょうが、
僕は、親子丼をよく食べます。
かつ丼もそうですが、いい出汁にいい脂の溶け出す具材を
卵でとじるという料理法は、日本の偉大な
発明のひとつだと思うのです。
その出汁の染みたごはんには、
ちょっと酸味のある漬物がぴったり合います。
最後の一口を食べるときのために、
胡瓜は残しておこうかなどと
久住昌之さんの真似をして頭の中で
戦略を立てたりするのも楽しみのひとつです。
そして大切なのは、お味噌汁。この良し悪しで
丼物の食事の成否が決まると言ってもいいでしょう。
いい出汁をとっているお蕎麦屋さんの味噌汁は
ほんとうにおいしい。親子丼の肉汁でこってりした口の中を、
品のあるかつお出汁の立った味噌汁がすっきりした旨みで
流してくれる。この幸福。
洗練された和食というジャンルの中では
「B級」と言われてしまうのかもしれませんが、
僕は、そもそも「A級」「B級」などという分類をしません。
料理は山のようなもので、高い山、低い山、いろいろありますが、
それぞれが頂点を持っているのだと思います。
僕は、料理登山家として、日本の「料理百名山」を紹介していきたいと
思います。が、今日は、日々つくづく思ってきた
グルメ番組のことを書きたいと思います。
グルメ番組というのは製作費が安くつくからだと思うのですが、
報道や情報番組のグルメレポートも含めると、
毎日恐ろしいほどのグルメ情報が発信されています。
僕は食べることが好きなのでよく見るのですが、
感じることは、一部有名グルメタレントを除いて
いわゆる「食レポ」が凡庸すぎるのです。
というより、どこかの「食レポ」学校で習ってきたのか
と思われるほど、どのレポーターの言葉も似ているのです。
ボキャプラリーは「甘い」「とろける」「ふわっ」
「そのあと香りが鼻に抜ける」「歯がいらない」
「脂が溶け出す」「肉汁がジュワッ」・・・。
それらの言葉を組み合わせているだけで
まったく聞いていてつまらない。
その料理のおいしさは、映像で紹介される
素材やつくる手順、料理人のこだわりなどから
十分伝わってきていて味や香りも当然想像できる。
そこで一言、は確かに難しい。
でも、お金をもらってレポートをしているのであれば
言葉は平凡でも食べ方や食べた後の表情なども含めて
何らかのパフォーマンスをしてほしいと思います。
料理の味をレポートするのであれば、
味を正確に表現するのではなく、
映像や料理作りの手順の説明だけでは
わからないものを表現してほしいのです。
想像ですが、実はレポーターより
テレビ局のディレクターや
プロデューサーのほうが凡庸なんだと思います。
食レポとはこういうものだという固定概念から
抜けきれないのだと思います。
テレビドラマ「孤独のグルメ」の中で原作の
久住さんが店と料理をレポートするコーナー
が面白いのは、彼のレポートの言葉そのもの
というより、彼が食べることをとても
楽しんでいることが伝わってくるからです。
これと比べると、テレビ局アナウンサーや若い女性タレント、
レポーターなどの「食レポ」は、「仕事」に見えるのです。
ディレクターの「スタート」や「カット」という声が
聞こえてくるようなのです。
グルメ番組が好きで見たい僕が
グルメ番組で不愉快になるのは、
こんな「仕事」のせいなのかもしれません。




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2016年09月18日

立ち食い蕎麦4条件。

立ち食いそばsobaIMG_0081.jpg

立ち食い蕎麦は、なぜうまいか?
きょうはそれについて考えてみます。
最も食べたくなるのは駅の立ち食い。
たまらない空腹に、ホームに漂う
かつお・昆布出汁と醤油、みりんが醸し出す
甘くかぐわしい香り。
電車を一本見送れば食べられる。
食券の販売機に小銭を投入、
迷わずかき揚げ蕎麦。
健康を考えて、わかめをトッピング。
10数秒で出来上がるのが
たまらなく素敵だ。
ズズっと蕎麦をすすると、
刻み葱の香りに少し濃い味のそばつゆ。
これが立ち食いだ、そばの香りだの
のど越しだのごちゃごちゃ言ってはいけない。
空腹の胃袋に熱い蕎麦が満たされる幸福。
かき揚げを出汁に浸して、口へ運ぶ。
うまいうまい、小麦粉たっぷり
油の染みたかき揚げのボリューム感がうれしい。
空腹に一気に流し込む一杯の蕎麦。
これは、上品に気取った本格蕎麦屋では、
決して味わうことはできない味。
一刻を争う空腹には、こだわりの蕎麦屋では
だめなのです。スピードもボリュームも全く足りないのです。
しかも法外な値段。
立ち食い蕎麦は、日本が生んだ
天才的ファーストフードだと思う。
この幸福は、どんなにお金があっても
とても限られた条件でしか得られない。
空腹で、近くに立ち食いがあって、
そばつゆの匂いに欲望が沸騰し、
10分程度の時間があること。
この立ち食い蕎麦4条件が満たされたものにしか
味わえない幸福なのです。
僕が今でも忘れられない立ち食い蕎麦は、学生のころ、
八王子の駅のホームにあった「おでん蕎麦」。
なんて、不思議な組み合わせですが、
本当にさつま揚げやコンニャクを蕎麦の上に
乗せて練り辛子までぬってくれる。
貧乏だった僕は、どこの立ち食いでも
だいたいかけ蕎麦。
横でサラリーマンが3種のおでんが乗った
「おでん蕎麦」を食べているのが羨ましくて
仕方なかった。いつか、自分で
お金を稼げるようになったら
絶対に食べてやると思っていたのに
八王子に行く機会がなく
いまだに果たせていない夢なのです。











posted by トッチ at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月21日

焼きそばの謎

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焼きそばというのは、不思議な食べ物です。
心の中に、ソースの焦げる香ばしい匂いの記憶が
焼きついており、無性に食べたくなったりします。
最も深いところにあるおいしい記憶は、
子供の頃食べたお祭りの焼きそばですが、
これが大人になって何度食べてもおいしくない。
それが不思議でならないのです。
初体験は特別な記憶だから
印象が強く何倍もおいしく感じるのでしょから、
それを除外して考えてみます。
バーベキューのときの焼きそば、
お好み焼き屋さんの焼きそば、
あの有名な富士宮や焼きそば・・・。
どれもおいしかった記憶があるのですが、
期待に胸を膨らませて
再度食べに行くと、
記憶よりおいしくない。
記憶の中では、
めちゃくちゃおいしかったのに、
実際の目の前の焼きそばはそうでもない。
その不思議。
いろいろ原因を考えてみたのですが、
僕の勝手な結論です。
焼きそばは「匂い」に「おいしさ」が追いつけない
食べ物なのかもしれないということです。
あの鉄板で焦げるソースの匂いが圧倒的に勝っている。
それとは対照的に、おなじソース味の
お好み焼きに僕は、記憶と同じおいしさを感じるのです。
「匂い」と「おいしさ」が
対等に勝負しているようなのです。
僕の個人的感覚とでもいいましょうか
どうも微妙な話で、
分からない方が多いかもしれませんが、
こういうことってありませんか?





posted by トッチ at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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